(1969年7月。アポロ11号の着陸船より見た地球。月の地平線から地球が見える。 NASA提供)
(1998年 火星探査機「のぞみ」が撮った地球と月
文部省宇宙科学研究所提供)
宇宙に浮かぶマーブル模様の地球の写真を見る時、私がいつも感じる不思議な感覚を、「新ポリティカ日本」(3月29日朝刊)で早野透さんは私の代弁者の様に語っていた。
ぽっかりと頼りなげに黒い宇宙に浮かぶ水の惑星。
あの小さな星の上に本当に私がいるのか?
あちらこちらで憎しみあい、殺し合っているのか?
実感がわかない。
化石燃料を燃やし続けて
今や青い星は青息吐息だ。
何十億年もかかって
やっと今の美しい地球が出来あがったのに。
壊れる時は長い地球の歴史からすれば一瞬だ。
映画「2001年宇宙の旅」のプロローグで
類人猿が骨を空に向かって高く放り上げるシーンがある。
骨が武器になるという事を知った類人猿。
戦争は武器を知った時から始まった、と私はこのシーンを解釈した。
早野透さんは「小さな星の不条理な世界を憂」えておられるが、
私はこの小さな星に絶望し、失望し
又、とても愛おしく思っている。
長文ですが、青い部分の所だけでも読んで頂きたいです。______________________________
『新ポリティカ日本 : 小さな星の不条理な世界を憂う』早野透
過日、NHKテレビで、ドキュメンタリー「新・映像の世紀」を観た。その冒頭、火星に送り込んだNASAの探査機のカメラがとらえた火星の風景を映し出していた。
わが地球に毎日、夕暮れがあるように、火星でも太陽が沈んで日没がくる。火星に夜が来る。上空に星がひとつ浮かぶ。その星、地球ですって。すごいなあ、あんな小さな光の星に、ぼくがいる、きみがいる。海がある、山がある。人類が日々暮らしている。何千年も、何万年も!
あの小さな星に、かつてソクラテスがいた。イエスがいた。ナポレオンがいた。聖徳太子がいた、織田信長がいた。戦争があった。平和があった。テロがある。大震災が起きた。津波がきて、原発が壊れた。
すべて、あの小さな星のうえでの出来事! なにか不思議な感慨に襲われた。
「新・映像の世紀」は語る。映像技術が生まれて100年余、それはすさまじく発展した。いまや携帯やスマホで、だれもが映して、だれもが発信できる時代になった。映像は世界を駆け巡る。
■いつまでこんなことを繰り返すのか
「新・映像の世紀」は続いて、2001年9月11日、あのニューヨークの世界貿易センターに飛行機2機が突っ込んで、ビルが崩れ落ちる映像を映し出した。あの同時多発テロ、3千人が死んだ不幸にして異常な事件、しかし、だれもが予測していなかった、その瞬間のシーンをだれかのカメラが撮っているのである。
世界の歴史が文書でなく、映像で記憶されていく時代への驚きもさることながら、わたしは冒頭の火星から見た地球を思い浮かべる。
そして思う。あんな小さな、あえかな星にわれわれはいのちを授けられて、せっかくのいのちを奪いあう戦争やテロを、なんでしなければならないのか、と。
「新・映像の世紀」のなかで、ニューヨークテロの首謀者、アルカイダのオサマ・ビンラディンが「神はアメリカを撃たれた」と述べ、「嵐を巻き起こし……虚偽を吹き飛ばすのだ」と語った姿が映し出される。事件のとき、見た記憶のある映像である。それによって、イスラム過激思想のおそるべき様相が世界に伝播(でんぱ)された。
そして、この3月22日、またしても同時多発テロである。ベルギーのブリュッセルの空港と地下鉄駅で爆発が起きた。35人が死に、負傷者多数、犯人も3人が自爆し、1人が逃げたと伝えられる。つい昨年11月には、パリを襲った同時多発テロで100人以上も死んでいるというのに……。
今回、過激派組織「イスラム国」(IS)が出した犯行声明には「十字軍の同盟国に暗黒の日々を約束する」と書かれ、テロの続行を予告していた。「十字軍」とは欧州諸国のことである。いったいなぜこんなことが起きるのか。欧州に難民として流れ込んだイスラムの人々の寂寥感(せきりょうかん)、差別、貧困がテロに結びつくといわれるけれども、これもまた火星の夜空に浮かんだ、あの小さい星の上で起きているできごとである。いつまで、こんなことを繰り返さなければいけないのか。
いうまでもなく人類の歴史は、戦争の歴史と重なりあっている。隣村とのいさかいやけんかざたから始まって、部族抗争が起きたり、国家ができてからは大きな戦争に発展した。なかには、不当な統治を覆す戦争とか、植民地支配から脱する戦争とか独立戦争とか、侵略に対する防衛戦争など、あるいは正当化しうる戦争もあったであろう。しかし、その中で死んだ人々、一人一人のいのちにとっては、本来の人生をまっとうできない不本意な死であったろう。火星の夜空に浮かぶこの星で、ここまで人類社会が円熟してきたからには、もうそろそろ、戦争とかテロとかは終わりにすることはできないのか。
■愚かな争い、戦場の罪悪を悔い、祈る
ブリュッセルで同時多発テロが起きたのと時を同じくして、アメリカのオバマ大統領がキューバを訪問した。アメリカの現職大統領として88年ぶり、「半世紀にわたる敵対関係を終わらせる」ためだそうである。
かつてキューバにカストロとゲバラに率いられた社会主義政権ができたときにアメリカは怒って傭兵(ようへい)軍を組織して侵攻した。キューバはソ連(いまのロシア)を頼って、ソ連は核ミサイルをキューバに配備した。これを知ったアメリカは海上封鎖して一触即発の緊張状態になる。当時、高校生だったわたしは「いよいよ核戦争か」と思って、われわれも短い命だったなと覚悟したものである。
あのとき、あんなに怖かったのに、なんとか激突を回避して半世紀が過ぎ去り、オバマ氏はミシェル夫人とともに飛行機から降り立ち、両国は多少はぎくしゃくしつつも仲直りしたのをみれば、あのとき、米ソが突っ張り合って戦争に突入などしていたら、なんとばかばかしかったことか。
その後、アメリカはベトナム戦争の泥沼に足をとられ、アフガン戦争やイラク戦争の砂漠の戦いに苦しんだ。その一方で、アメリカは宇宙技術を進展させ、火星から見える地球をぼくらに見せてくれた。この地球で、お互いに憎み合って殺し合いなどするよりも、われわれは、あの小さな星に一緒に暮らしているといった視点から、お互いに仲良くすることはできないか。テロ実行のために自爆するならば、神のもとに行けるなどという観念は、なんともはや、と思うばかりである。
先々週から先週にかけて、東京と熊本で「安全区/Nanjing」と題する演劇がメメントCという劇団によって上演された。脚本は嶽本あゆ美さん。この劇は、作家堀田善衛の小説「時間」に材を取っている。わたしは縁あって、東京上演の際に、嶽本さんとアフタートークで対論した。
1937年12月、日本軍は中国の首都南京に刻々と迫っている。中国政府の指導者蔣介石らはすでに南京を脱出した。この劇は、南京に残る住民、一人の中国人学者を主人公に中国側の目から見たそのときの日本軍を描いている。米欧人は残って、南京市内に「安全区」を設けて、そこには日本軍も入らないようにさせていた。
日本軍の軍律はいかがなものだったのだろう、南京市内に入って兵士が略奪や殺害、強姦(ごうかん)に走るのを抑えられなかった。いわゆる「南京事件」として国際的に問題化したのだが、嶽本さんの劇は、そうした極限状況への深い思索を織り交ぜながら、事件を描いた。 例えば、劇中に「日本軍は捕虜をとらぬ」というセリフがでてくる。どういうこと? 中国兵を捕虜にすると保護義務が生ずる。そんなことはめんどうだ、殺してしまえ、そういう意味だったのである。
「この虐殺の日本兵は、どのような市民に戻るのか、戻れるのか」と主人公の中国人学者が問いかける。「ケロリとして生きるためにこそ、あなた方には天皇が要るのかもしれません」。中国人学者はそう考える。戦場の罪悪を忘れるために、天皇の存在に頼ったことはあったかもしれない。
南京事件で、いったい日本軍は何人を虐殺したのか、中国側は30万といい、東京裁判は20万といい、そのほか4万とか、数え方にはさまざまの説があり、南京事件論争はいまも続いている。
さて、この南京事件も、あの火星から見えた小さい星のうえで起きた。深く悔いて、犠牲者に祈る以外あるまい。
以上、この2週間、わたしが見たテレビ、わたしが鑑賞した演劇、そして欧州で起きたテロを聞いて、感じたことである。宇宙の一隅につくった、かくも不条理な人間の世界、なんとかしなければ。(早野透=桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト